2012/04/21

糸川英夫と島秀雄に関する論文

年初に投稿した、糸川英夫と島秀雄に関する論文が出版された。
科学史学会の欧文誌の特集号の論文の一つという位置づけである。

Sato Yasushi, "Managing the Interface between Politics and Technology: Itokawa Hideo, Shima Hideo, and the Early Japanese Space Programs," Historia Scientiarum Vol.21, No.3, March 2012, pp.193-210.

今回の特集号は、現代東アジアの科学技術と政治に関する特集号ということで、韓国からの投稿論文が2本、日本からの投稿論文が2本という形になった。
こういう論文構成になると、トリビアルな問題が一つ生じる。韓国と日本では英語での姓名表記の順序が異なるということだ。韓国では姓、名の順序で表記するが、日本では名、姓の順序で表記するのが通常である。

今回は、韓国式の順序で統一することとなった。同じ特集号の中で標記の順序が分かれてしまうのはやや奇妙なためである。

論文の内容は、日本の宇宙開発史における二人の巨人、糸川英夫と島秀雄の政治との関わり方である。
前者は、政治に近づき、政治力を獲得し、それにより技術開発プロジェクトを推し進め、自らの名声も得ようとした。
後者は、政治とは距離を置き、あくまで技術者の価値観を守り、着実に技術開発をマネジメントした。

海外を眺めてみると、この二人と類比的な例も散見されることについても、論文中で指摘した。
例えば、水爆の父エドワード・テラーや、アポロ計画のロケット開発を率いたヴェルナー・フォン・ブラウンなどは、政治との関わりという面において、糸川に近かった。
一方、原爆の父ロバート・オッペンハイマーや、アポロ計画期のNASAの全体マネジメントを担ったロバート・シーマンスなどは、島に近かったといえる。

政治と科学技術との関わりを考える際、その間のインターフェースのマネジメントを司る彼らのような人物に着目することはやはり重要であると考えている。

0 件のコメント:

コメントを投稿