2011/12/23

糸川英夫の再評価

最近、日本のロケット開発の父とも呼ばれる糸川英夫について調べている。
糸川については以前いくらか調べたことがある。その功績の大きさについてはいまさら述べるまでもない。
だが今回改めて調べてみて、糸川の人生は実はかなり複雑なものだったと感じている。

糸川の実像に迫る手掛かりとしては、公表されているものの中では、当時の雑誌記事のほか、書籍『人間糸川英夫博士とは~♪』がやはり重要である。
糸川英夫を知る人たちの回想集である。


糸川は、支持する人も多かったものの、敵も多かった。
特に、東大宇宙航空研究所(1964~1981年)においては、航空分野の教授陣が糸川の大学教授らしからぬ政治力と資金力に反発し、そのことが糸川の辞任(1967年)につながったことは良く知られている。

この糸川の辞任劇については、狭量な航空分野の教授陣のために糸川が不当な仕打ちをうけたという見方が示されることが多い。

だが、今回文献を幅広く読んだ結果、そうとは言い切れないと感じるようになった。
宇宙開発の関係者の間には、糸川批判が許されない雰囲気があるようにも感じるが、それでも いくつかの文献に糸川批判は散見される。
上記の書籍は、糸川を讃えるためのものだといえると思うが、それでも糸川の人格的な問題点が垣間見られる箇所がいくつかある。

実際、糸川の東大教授辞任後の人生はやや悲惨な感がある。
組織工学研究所という新しい組織を立ち上げたものの、彼自身の本や講演の収益以外の事業はほとんど成り立たなかった。
NHK論説委員を辞職して同研究所の副所長になった人物がいたが、その給与が糸川のポケットマネーから支払われていることがわかり、1年ほどで同研究所を離れたという。

いまの私には、糸川は結局、自身の政治力に安易に依存した結果、そのツケを長い間かけて払ったように思われる。
近々、そのような見方を含む論文を発表する予定である。

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