2011/02/27

省庁再編と文部科学省の誕生

ここのところ、2001年1月に実施された省庁再編の経緯について、特に科学技術関係に焦点を当てて調べてきた。

旧文部省と旧科学技術庁を統合して文部科学省を設置する方針が決まった流れを整理すると、次のとおりになる。

当時の橋本総理が設置した行政改革会議が省庁再編の具体案を最初に議論したのは、1997年7月に2回開催された機構問題小委員会においてである。同小委員会で、渡辺恒雄委員は科学技術・環境省の設置を、猪口邦子委員は科学文化省の設置を提案した。

だが、同小委員会の藤田宙靖主査は、科学技術省設置案と、科学技術を「専任の国務大臣をコアーとする横串機能に委ねる」とする2案を作成し、8月の集中審議に提示した。

ところが、集中審議においては、橋本総理がきわめて強力な主導権を発揮し、次のように科学技術省設置案を一蹴した。
「自らの権益を守るために汲々としている科学技術庁の現状に照らすと、これを独立の省とすることには問題があるのではないか」

結局、橋本総理の強い意向の下、旧文部省と旧科学技術庁を統合する方針が決まった。新省の名称については、両省庁が対等合併であることを明確にするために「文部・科学技術省」とすることになった。

その後、与党協議の結果、新省の名称は「教育科学技術省」に変わり、さらに「文部科学省」に変わった。

以上の経緯をみれば、文部科学省を誕生させるという方針は、ほとんど橋本総理の独断で決められたといえる。十分な議論がなされたとはいえない。

行革会議の議論全体の中でも、旧文部省と旧科学技術庁の統合は、特に橋本総理が強力に自らの主張を通した論点であったといえる。

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